つまむ
とある事件に遭遇して、「つまむ」について調べてみた。インターネットの辞書では「主に指先などで軽く挟むようにして持つ動作を指す表現」とある。ふむふむその通りだ。さらにその動作から派生したものとして、指先などで取って食べる(おやつをつまむ)。重要なところを抜き出す(要点をつまんで話す)。受動形で使われると、だます、化かす(きつねにつままれる)。なるほど、いろいろあるものだ。つまんで操作するようなダイヤルは「ツマミ」。ちょっとつまんで食べられるようなサイドメニューは、晩酌には欠かせない「おつまみ」。「つまみ食い」というと、ちょっとの量を食べてみる、あるいは、自分に供されたものではないものを、こっそりと食べてみる。などなど。
つまむ(摘まむ)と似た言葉に、つむ(摘む)というのがある。現代のわれわれからすると、花を摘むとなると、花を手折るもしくは引っこ抜くことを意味し、つまむだと、指を添えただけのように解釈するのが自然である。しかし、王朝の時代では、全くの同義として用いられ、短歌では語数やリズムによって使い分けられていたようだ。その左証として例を挙げると、古今和歌集に
「春の野に 若菜つまむと こしものを 散りかふ花に 道は惑ひぬ」
という紀貫之の歌がある。(若菜を摘もうと、新緑の野にやってきたが、咲き乱れた桜の花が、道もわからぬほど散り交って、迷ってしまったようだ)。若菜摘みは早春で、散花は晩春なので、「春先に若菜を摘みに来たことのある場所を、いま訪れてみると」と解釈するのが一般的だろう。が、私の解釈はちょっと異なる。紀貫之が確信犯的な時候の齟齬を詠み込むことで、季節の移ろいの中での、この瞬間のはかない美しさ、揺れ動く情動の機微を表現しているのではなかろうか。(春を待ちわびて、やっと若菜を摘もうと、新緑の野に出かけてきたと思ったのも束の間、季節はあっという間に移ろって、桜はもう散ってしまう。春を心行くまで楽しむ間もなく、道に迷ったように、呆然と立ちすくむ私)。「いい季節というものは、長くは続かないものだねえ」貫之のため息が聞こえる気がする。万葉集からもうひとつ。
「明日よりは春菜摘まむと標めし野に きのうもけふも雪は降りつつ」
(さあ、春菜を摘むぞと意気込んで、あらかじめその場所まで選定し押さえているのに、昨日も今日も雪が降っていて、行けません。あーあ残念)これは山部赤人の一首。「明日、きのう、きょうと」、童子のような無邪気さで、春菜摘みを楽しみにしている様子が面白い。
赤人にはもっと有名な歌がありますね。これは「摘む」の例。
「春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ 野をなつかしみ一夜寝にける」
(春の野にすみれを摘みに来た私だが、早春の野辺の心地よさについうっとりとして、離れがたく、一晩明かしてしまったよ)
春のうきうきとした気持ちが、素直に表現されている秀歌。
高貴な、いにしえびとの間では春菜摘み(若菜摘み)は大切な春の行事。食用や薬用としての採集のみならず、早春を愛でる行楽として親しまれた。中でも赤人が歌にしたすみれ摘みは人気であった。可憐ではあるが、小さく目立たない花なのに、なぜ人気? 調べてみた。すみれは摘み取ると、すぐに萎えてしぼんでしまう。それは、ついさっきまで生き生きとしていたすみれの活力が、摘み取った人に移っていってしまうから。すみれを摘み取ると、なぜか元気になるみたい。そう考えられていたからだという説がある。
時代は大幅に下って、昭和の歌、井上陽水の「野イチゴ」。冒頭のフレーズ。
「野イチゴゆれた 緑の風に つんでみようか ながめるだけにしようか」
全フレーズを掲載したいところではあるが、著作権の問題もあるので、歌詞を要約すると、「思いを寄せたあの娘は、街にお嫁に行ってしまった。消息も途絶え、里に帰ることもない。野イチゴの赤い実を眺めていたらいつの間にか夕暮れ。流れゆく時間の中で、いつもと変わらぬ夕焼けをいとおしく思いながら、家路に着こう、カラのカゴを抱えて。」
先達の感性に劣らない名歌だと思う。
「つまむ」について、いろいろ調べてみたのだが、その動機について、そろそろ話さねばなるまい。特に意識したことはないのだが、「つまむ」は指先の繊細な動きと相まって、軽やかで心地よい語感を私に与えていたと思われる。しかし、冒頭でも述べた事件、「つまむ」をどう解釈していいか、私を大いに混乱させる事案が発生してしまったのだ。それは、ある日のこと。風呂から上がった私は、洗面台に向いて、歯を磨いているところだった。そこへ細君が入って来て言った。「脱いだ下着は?」。私は振り向きもせず、左親指を立てて、肩越しに指さして答えた。「ああ、そこの後ろ」。脱衣所には腰掛けるための造り付けの台があり、その上に脱いで置いていたのだ。通常は、脱衣籠にすぐさま放り込むのであるが、その時は細君が洗濯のため、その籠を移動しており、しかたなく、台の上に脱ぎ捨てたようになってしまっている。「ごめん、ごめん」言葉だけで謝って、後ろ向きのまま、鏡に映る細君の行動をそれとはなく見ていた。すると、申し訳なさそうに鎮座する私の下着を、細君は器用にも人差し指と親指だけで、ひょいと「つまみ」上げ、肘を軽く伸ばした状態で保持。そして腰をわずかに落とすと同時にくるりと回転し、摺り足で滑るように脱衣所を出て行った。能楽師の動きにも見紛うような一連の所作に感嘆しながらも、何かに「つままれて」しまったような私の心は、どこか別な所をさまよっていた。
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